2. ゲノム医療の経済的負担

登場人物
亜美乃さん
36歳、1児のママ。最近よく目にする「ゲノム」について知りたい。本人は高血圧症の持病がある。3歳の息子は筋ジストロフィーの疑いと言われており、先日、母親が乳がんと診断された。
玄務(げのむ)先生
ゲノム医療に詳しいお医者さん

ゲノム情報が、医療の様々な場面で役に立つことはわかりました。でも、ゲノムの検査にはお金がかかりそうですね。費用負担について教えてください。

病気を診断し、治療方針を決定するために行う検査を「診療検査」といいます。診療検査は、病気の種類や患者さんの状況によって保険または自費のどちらかで行われます。

診療検査

ゲノムの検査は、2006年に3種類の筋ジストロフィーを対象に初めて保険適用され、以後、対象疾患が順次拡げられてきました。ゲノムの検査のうちでも、生まれつきもっている遺伝子変異を調べる検査を「遺伝学的検査」と言います(がん細胞の遺伝子のように、生まれた後に起こる遺伝子変異の検査と区別しています)。

遺伝性疾患の保険適用の遺伝学的検査数の推移(横軸:年)
保険収載されている遺伝学的検査の例
疾患の名前 : デュシェンヌ型 筋ジストロフィー

原因遺伝子 : DMD
概要 : 筋力の低下で体を動かすことが難しくなる病気。呼吸筋や心筋にも症状が現れる。治療に関して、進行を遅らせる薬と、ジストロフィンタンパク質の不足を補う薬が保険収載されている。
遺伝学的検査の保険点数* : 3,880点

疾患の名前 : 脊髄性筋萎縮症

原因遺伝子 : SMN1
概要 : 全身の筋力が低下する病気。治療に関して、SMN1タンパク質の不足を補う薬が2種類保険収載されている。
遺伝学的検査の保険点数* : 5,000点

疾患の名前 : 先天性QT延長症候群

原因遺伝子 : KCNQ1, KCNH2, SCN5Aなど
概要 : 心臓が正しく動かなくなることで、めまいや失神、突然死などをきたしうる病気。原因遺伝子の違いで、症状の誘因(トリガー)が異なりうるため、原因遺伝子が見つかれば、その種類に応じた生活指導がなされる。
遺伝学的検査の保険点数* : 8,000点

2020年4月現在、保険適用となっているのは140疾患(群)の遺伝性疾患の遺伝学的検査(リストはMGenReviewsをご参照ください)とがんゲノムプロファイリング検査等です。140の遺伝性疾患のうち、約9割が指定難病です。

保険適用となっているおもなゲノムの検査
ここにあげた他に、がんの診断のための検査や適切な薬を選ぶための検査にも保険適用となっているものがある。

診療検査に要する費用

診療検査に要する費用は、遺伝カウンセリングの費用、遺伝学的検査の費用、フォローアップの費用の3つからなります。遺伝カウンセリングの費用は、一定の施設基準を満たす医療機関で行われる場合、遺伝カウンセリング加算という形で保険点数が決まっています。ただし、遺伝学的検査自体が保険適用でない場合、遺伝カウンセリングも自費負担となります。

遺伝学的検査の費用には、専用の機械でA・T・G・Cの塩基配列を読む費用の他、検査で見つかった遺伝子の変異をデータベースと照らし合わせて、病的変異であるかどうかといった解釈をするための費用が含まれます。遺伝性疾患の遺伝学的検査では検査の複雑さに応じて3段階の保険点数が設定されています。一方、がんゲノムプロファイリング検査は、相当に複雑な手順・処理を必要とするため、保険点数が高く、この検査で遺伝性腫瘍が見つかることもあります。
フォローアップの費用の中には、遺伝性腫瘍サーベイランスや血縁者の発症前診断などの費用も含まれます。発症前診断など、病気を発症していないものの検査等は自費診療となります。
これまで、遺伝性腫瘍に関する遺伝カウンセリングや遺伝学的検査は自費診療でしたが、HBOCが疑われる乳がんおよび卵巣がんの患者さんに対する原因遺伝子(BRCA1またはBRCA2)の検査は、2020年4月から保険適用となりました(ただし、医療機関ごとに対応が異なる可能性があるため担当医に確認してください)。遺伝学的検査でBRCA1またはBRCA2の病的変異が見つかりHBOCと診断された場合、定期的な乳房MRI検査、およびがん発症のリスクを減らすための予防的な乳房切除術や卵巣卵管摘出術も保険診療で受けることができます。

遺伝学的検査のうち、保険診療で検査を受けられるのは現在140疾患(群)程度なのですね。

研究検査

診療検査と研究検査の関係
医学研究や臨床研究により、病気の診断法、治療法は絶えず改良され、研究の成果が逐次、実地診療に導入されていきます。上記でご説明した「診療検査」は、診療に役立つことが認められ、実地診療で使われている(一部は保険適用にもなっている)検査ですが、その前の研究段階にある検査を「研究検査」と呼びます。ただし、両者は明確に二分されるわけではなく、連続的なものです。

例えば、ある遺伝性疾患の原因遺伝子が計5種類あると仮定しましょう。検査実施時点で病気との関係が判明している遺伝子が5種類のうち3種類である場合、この3種類の遺伝子の検査は診療として実施できます。しかし、実際に患者さんの遺伝子を検査すると、この3種類には病的変異が見つからないことがあります。その場合、残りの2種類の遺伝子に病的変異があると推測されますが、診療検査では、残り2種類の遺伝子の検査は行わないため、遺伝子のどのような変異が病気と関係しているのかがわかりません。
このような場合に行われるのが、研究検査です。患者さんが研究検査に協力して、ゲノム情報や、病気の状態などを記録した臨床情報を提供してくださると、それらの情報を研究することで残り2種類の遺伝子についても病的変異を明らかにできる可能性があります。
研究検査で遺伝子の病的変異が新たにわかると、その病気の診断、予防、治療を進歩させるのに役立ちますが、そこにいたるまでには時間がかかります。したがって、研究検査に協力してくださった患者さんには、検査後すぐにではなく、後になって確証が得られてから、研究検査の成果が還元されることになります。このため、研究検査に協力するかどうかは、患者さんが選択することができます。原則、研究への協力にかかる費用の負担はありません。
研究検査は、「診療として提供できるレベルに満たない」検査と、「診療検査を補足するために行う」検査とに大別されます。「診療として提供できるレベルに満たない」とは、検査をしてもはっきりした診断がつかず、治療にもつなげにくい状況のことで、おもに1.〜 3.のケースに該当します。しかし、研究検査を通じて、注目する病気の解析データを蓄積していくことにより、ゲノムの変化と病気の関係が明らかになり、ゲノムの検査によって診断できる範囲が広がっていくと期待されます。
一方、「診療検査を補足する」は、4. のケースに該当します。「遺伝子座異質性」とは、別々の遺伝子の変異がよく似た病状を引き起こすことです。検査対象の疾患が遺伝子座異質性をもつ場合、患者さんの病状を引き起こしている原因遺伝子が、すでによく知られている遺伝子とは別のものであるために、通常の診療検査では見つからないことがあります。こうした場合に、診療検査の対象となっていない遺伝子も調べられる研究検査が役に立つのです。

研究検査として遺伝学的検査を行いうる場合
  1. 現状で、予防、治療などの有効な介入方法がない病態の検査
  2. 原因遺伝子変異の浸透率*が低く、診断的意義が高くない検査
  3. 発症リスクを既知の原因遺伝子で“説明”できる割合が小さい検査
  4. 遺伝子座異質性のため、原因遺伝子が十分カバーできていない検査
    * 病的変異をもつ場合に、実際に病気を発症する確率のこと

原因遺伝子がまだ明らかになっておらず「研究検査」としてデータを蓄積している段階の疾患もあるのですね。

HBOCのように、遺伝子診断の有用性(早期発見・早期治療、予防などに活かせること)が明確になることで遺伝学的検査が保険診療へと移行することもあります。そのためには、患者さんに協力いただきながら研究検査を進めていくことが重要なのです。